1930年代のアメリカ経済 8
1935年に入って、翌年に迫る大統領選をにらみつつ、ローズベルトがいわゆる「第二次ニューディール」を展開しはじめたのも、こうした背景をむしろ自分に有利に取りこみ、利用しようとする、政治家としての彼のねらいであったということができます。
言いかえれば、「ローズベルトにとって、初期ニューディールに不満を抱くにいたった大衆の支持をあくまで確保して、デマゴーグ的政治家の社会的基盤を切り崩すとともに、右翼勢力に対抗するためには左翼分子をも含めた広範なニューディール派の連合戦線を形成することが1つの重大な政治的課題となったのです」。
ローズベルト個人の人気とともに、組織労働者を中核とする農民、黒人などを含む広範な支持層を味方にして、彼は「第二次ニューディール」に取り組みました。
まず手がけたのが社会保障制度です。
社会福祉政策は第一次ニューディールで欠けていた側面でしたし、高まりつつあった大衆の不満をかわすには最適でした。
現行の失業保険、老齢退職者年金保険などは、このとき定められました。
また福祉政策の一環として、失業対策も規模の点ばかりでなく、単に救済というより雇用の促進に重点がおかれた点は注目されました。
そのためにWPA(雇用促進局)が置かれ、ニューヨーク州知事当時以来ローズベルトが買っているパリー・ホプキンスが長官となりました。
ホプキンスのもとで2000以上の病院、5900の校舎、1000にのぼる空港滑走路、1万3000に近いグラウンドなどが建設されたり改修されました。
しかし、最も注目を浴びたのは道路建設で、同局総支出の4割近くがこれに充てられました。